【編者より・当サイトの2014年トレイルランナー・オブ・ザ・イヤーで本賞となる稲葉賞を受賞した上田瑠偉/Ruy Uedaさんに、当サイトが受賞記念のロングインタビューをしました。昨年はハセツネ・カップでの優勝で注目を集めた上田さんでしたが、これまでの歩みとこれからの抱負を語る口ぶりからは静かながら強い意志を感じました。
上田さんは2月はアメリカへ語学留学しますが、今週末の2月7日(土)にはカリフォルニア・ロスアンゼルス近郊で開催されるトレイルランニングレース、Sean O’Brienの100kmのレースに出場します。Montrail Ultra Cupのシリーズ戦の一つとして、現地でも注目を集めている大会での活躍にも期待したいと思います。】
2月はカリフォルニアに語学留学へ
DogsorCaravan.com(以下DC): 今は大学は忙しいシーズンなんですか?
上田瑠偉さん(以下RU): ちょうど期末試験が始まったところです。今日一つ終わって、これから幾つか続きます。試験が終わると休みになるので、一ヶ月ほどアメリカ・カリフォルニアに語学留学します。勉強の合間にカリフォルニアではMontrail / Mountain Hardwearの人たちとトレイルを走ったり、現地のレースに出る予定です。
DC: カリフォルニアから戻ってくると大学生活最後の年となります。卒業後の進路も考える時期ですね。
RU: 春から就職活動が始まります。進路についてはいろいろ考えているところなんですが、走ることは続けていきたいと思っています。
サッカー少年から陸上へ、ケガ続きの高校時代
DC: 上田さんのこれまでの経歴について伺いたいと思います。長野県のご出身ですよね。
RU: 長野県大町市の出身です。北アルプスの麓の町です。僕が生まれた1993年にJリーグが始まって、サッカー好きの父に勧められて小学生からサッカーを始めたんです。小学生から中学生までの9年間は地元のクラブチームでサッカーをしていました。
DC: サッカーをするうちにランナーとしての才能が芽生えたんですか?
RU: 小学3年だったか4年だったか、地域の陸上競技大会があるというので1000mのレースに出たのが最初で、6年生の時に県大会で3位になりました。中学ではサッカーのための体力作りとして陸上部に入って走っていて、県大会で入賞したり、中学3年の時は都道府県対抗駅伝に代表として出させてもらいました。サッカーよりも陸上の方が成績がよかったんです。
DC: それで高校は陸上の名門である佐久長聖高校に進学したわけですね。
RU: はじめは地元の公立高校でサッカーをやろうと思っていたんですが、中学3年の秋になって声をかけていただいて。父も「やるなら日本一を目指せ」と応援してくれたので、佐久長聖に進みました。
DC: 高校時代は陸上ではどんな成績だったんですか。
RU: 実はお話できるほどの成績は全く残せませんでした。シンスプリントの疲労骨折とか、ずっと足のケガに悩まされていたんです。練習のしすぎだったのだと思います。3年の時には駅伝部のキャプテンをさせてもらいましたが、ランナーとしての成績はチームでも下の方でした。
DC: ケガでランナーとして結果が出ない中で、走ることが嫌になったりはしなかったんですか?
RU: 佐久長聖は僕たちが入学する前の年の全国高校駅伝で優勝したんですが、駅伝部の同級生とは自分たちがもう一度優勝することを目標にしていました。寮に入って1年生の時には学年の責任者に立候補して自分の逃げ道を絶って頑張っていたんですが、ケガが続いて成果が出ません。結局そのまま大きな成果を出せないままでした。例えば僕の高校時代の5000mのベスト記録は16:01なんですが、中学3年の時に出たロードの5000mのレースで15:58というタイムを出していました。3000mも1万mも同じことで中学生の時のタイムを越えられませんでした。3年でキャプテンを任せてもらえたのはランナーとして結果を出したからではなくて、監督が僕の人間性を評価してくださったからじゃないかと思います。
DC: 中学生の頃は生徒会長もされていたと聞きました。みんなの前で責任のある立場につく、というリーダーシップがあるタイプだったんでしょうね。
RU: そうなのかもしれませんね。みんなを代表して人前で話したり、何かしたりするのに抵抗がないほうでしたね。
早稲田大学陸上競技同好会で走ることの楽しさが広がった
DC: その後、早稲田大学商学部に進学されたのは、陸上や駅伝とは直接関係はなかったんですね。
RU: そうなんです。早稲田にはスポーツとは関係なく指定校推薦で進学しました。高校では駅伝をやりながらも勉強も頑張って、成績もよかったんですよ。
DC: 早稲田には箱根駅伝の常連で伝統ある競走部がありますが、その競走部に入らずに陸上競技同好会で走ることにしたのはどういう考えがあったんですか?
RU: 両親に連れられて箱根駅伝の応援に行ったこともあったくらいで、両親は「早稲田に行くなら箱根駅伝を」と期待していましたね。高校の先生にも、早稲田に行くなら競走部で箱根を目指した経験は将来の人生の糧になる、って励まされました。でも、早稲田の競走部は1年生から結果を出せないと選手として箱根を走ることはできないと聞いていて、競走部で走ることを諦めるのは嫌だなと思ったんですね。結果を出せなかったら1年で退部する、というのも無責任なことのように思えて、僕はしたくなかった。じゃあ、はじめから同好会で楽しみながら走ろうと考えました。
DC: 高校の頃とは少し考えを変えて、走ることそのものをもっと楽しもうと思ったんですね。
RU: 高校ではケガが続いて満足な成果を出せなかったので、そのまま大学で競技生活を続けても同じことじゃないかな、と思ったというのもあります。もっと自分のペースで走ったり、リカバリーのために休んだりした方がいいんじゃないかと思いました。それに、高校時代から相談していた、佐久長聖高校の駅伝部のOBで早稲田の陸上競技同好会出身の先輩の影響も大きかったですね。その先輩からは、早稲田の競走部で1年目に結果が出なかったこと、同好会に移ってから記録が伸びたこと、その後に筑波大学の大学院に進学されてからも関東インカレで成果を出したことといった経験をうかがっていました。競走部で箱根駅伝を目指す以外にも、ランナーとして輝く機会はあるんだと教えていただきました。
DC: それでも同好会というとこれまでの高校時代とはレベルが全然違うんじゃないですか?
RU: 確かに、同好会は練習の雰囲気もゆるいですよ。最初は少し戸惑いました。練習会でも時間通りに始まらなかったりするんですが、高校の部活ではあり得ないですからね。走力のある人もいればそうでもない人もいます。でもそうやっていろんな仲間が集まっているのが僕にとって刺激になります。インカレサークルなので早稲田以外の話も聞けるし、中には走り幅跳びで日本選手権に出場した先輩もいます。記録にこだわっている人もいれば、楽しむことを大事にしている人もいます。
トレイルランニングで一躍有名になったこの2年間
DC: フルマラソンを最初に走ったのはいつですか?
RU: 大学1年の3月(2013年)に出た古河はなももマラソンで、タイムは2時間41分です。40kmを超える距離を走ったのはそれが初めてでした。その後もフルマラソンに出ましたが、このタイムが今のところ僕の自己ベストです。
DC: 大学に入った時から、マラソンのような長距離に狙いを移そうと考えていたんですか?
RU: いえ、特にそういう考えはありません。大学のうちに5000mで14分台を出したいという目標があっただけで、マラソンも特に対策を立てたり練習をしたりしたわけではありません。同好会で自由に走れるんだから、いろんなレースを楽しもうと思ってマラソンに出ました。
DC: その初めてのフルマラソンからまもなく6月に出場した初めての100kmの柴又100kで8時間15分で5位でしたよね。
RU: 柴又100kに出たのもいろんなレースを走ろうという考えで、古河はなももマラソンを走る前からエントリーしていました。同級生の陸上仲間4人で10代最後の思い出に100kmに挑戦してみようぜ、って誘いあったのがきっかけです。優勝されたのはウルトラマラソンで活躍されている… Read the rest